昨日の日曜の夜は、第二部の特典ディスク2枚を好きな所だけ観た。本当はその後、本編も観ようかと思ったのだが、やっぱりあの、原作とは似ても似つかぬファラミア殿下を観るのが辛い気分で(観られる気分の時も勿論ある。現に先週22日は三部作全部観たわけだし)、丁度もう寝る時間でもあったし、やめて寝た。
で、第三部観て…
…やっぱり、観れば観るほどひでえ映画だぜ(笑)
いやこのへんの、裏返しっていうか、矛盾というか、愛憎、相半ばするっていうか…そういう気持ち、わかるかなあ(笑)
基本的には大好きな映画なのよ。既に書いたように、画面がとにかく素晴らしく、「スクリーンで」観られるだけ何度でも観なくてはいけないと思い、毎週劇場に通った。「大画面で!」ということにこんなに拘った映画は他にない。
内容においても、殿下の件では批判の気持ちは変わらないが、私は、監督(以下PJ)の意図はかなり正確に受け取っている方だと思う。原作と違う所が全部いけないわけじゃないし、むしろ、殿下の件を除いた他の全部は、PJの「改変」に大いに納得しているのだ。例えばヘルム峡谷にエルフの援軍が来る所など。原作と違うからといって、人間とエルフの同盟を描くのにああしたのは正しいし、本来死ななくていいはずのハルディアを筆頭に、エルフがバタバタ(人間と同じように!)死んでいるあの戦いで、いかに指輪戦争が深刻なものかを知った。もう正にPJの狙い通りの奴なんである、私って(笑)。
以下、第三部のねたばれを大いに含むので、未見の方は自己責任でお願いします。
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第三部の何が一番まずいかって、最初に一言で言うと、
「トールキンの、人間への愛情と期待を、余りにも軽視している」
ということだ。
「王の帰還」ではなくて、単なる「アラゴルンの即位」。
放浪の王が戻る、というパターンではあるが、原作では、同時にそれは、南北王国の統一(特に、王国としての秩序が失われていた北方地域も再び統一王国として再編されたという大きな意味がある)、完全なる人間の時代の到来、という、大変な意味がある。
ところが、映画では単に、「迷い続けていた王位継承者がめでたく即位する」だけにしか見えない。
ここにもまた、ファラミア殿下を含めた執政一家の脚色の大失敗が絡んでいる。
『指輪物語』は、指輪所持者による使命の達成の他、多くのドラマが同時進行する。しかし映画としては、メインを指名達成に絞るのは勿論当然。
しかし!
執政一家に、他の脚色が上手くいった分の皺寄せが全部来たが故に(つまりあの見事な脚色が、執政一家の犠牲の上にしか実現しえなかったのは、まことに残念である)、ゴンドールに王は戻ったが、「人間の最も古い王国の再興=人間の時代の到来」という大きなテーマは、ひどく霞んでしまったのである。
ゴンドールは、最も古く権威もあるが、それ故に滅亡に瀕している。
だが、トールキンはこの王国の滅亡寸前からの再興をも、愛情をこめて描いた。
ファラミア殿下の、さんざん苦しみ、家族を全て失った末の、あの戴冠式での雄姿。王が即位すると同時に、王のもとでこそファラミアから再び本来の「執政家」が始まるということが、トールキンが描いた、王国再興の本当の姿なのだ。そして、この、真の意味での南北王国復活の瞬間こそ、世界が人間の地になることの証。
(付け加えれば、流石にこれは原作でもちょっと唐突に思えなくもない、殿下とエオウィン姫の結婚も、世界を再統一したゴンドールと、闊達さを保ち続けてきた国ローハンが結びつくという、新たな人間世界の秩序を象徴しているのだと思う。同じく、イムラヒル大公の娘ロシリーエルと、マーク王の結婚も。)
ところが、既に述べたように、脚色のミスでファラミア殿下の人格が坂道を転がるように二進も三進もいかなくなってしまったが故に、彼が戴冠式にはただ出席しているだけ、という大変な片手落ちになってしまった。
かといって、あの第二部が第二部なだけに、もし映画でも、戴冠式だけは原作通り彼が取り仕切っても、父と兄が死んでいい所を持っていっただけの人間にしか見えなくなってしまうだろう。
トールキンは、指名達成の苦難を描くと同時に、滅び行くもののその滅び行く姿までも愛し、そして再興の始まりを描いて見せた。
『指輪物語』という作品自体、トールキンの、かつてあり、今は滅びた、彼の愛する文明へのオマージュであるのだから。
トールキンは勿論ホビットが大好きだった。他の種族も。しかし彼が『指輪物語』を書いた様々な動機(北欧やゲルマンとノルマン以前のイングランド文明への憧れ、ありえなかった「理想のイングランド」像を描くこと、第一次大戦での喪失体験、環境破壊への懸念…)を考えるに、やはり彼が最も愛し、重視し、信じ、描こうとしたのは「人間の力」なのではないかと思う。喪失を通じてもなお、人間の力や善意を信じた。そこにこそ私は大きな感動をおぼえる。
『指輪物語』の主要キャラクターのうち、一番はっきりと家族を、しかも全員亡くしたのはファラミアだけである。しかし、母が死に父と息子たちだけが残った家族の、その次男を除く2人共が死ぬという悲劇があるからこそ、人間世界の新たな出発もまた鮮やかに伝わるのではないだろうか。トールキンも第一次大戦で親しい友人を何人も亡くした。誰かが死ねばその家族全員が哀しむ。或いは1人残される者もいる。しかし、生き残った者はまた新たに生きていく。ファラミアという人間が、王の即位と同時にしっかりと立っていることが描かれているからこそ、物語全体の環が閉じるのである。
(実際、原作は、沢山の種族がいる中つ国が舞台でも、後半「人間」の物語の比重が増してくるとやはり感情移入しやすい。それぞれのキャラ、それぞれの種族のファンはいるだろうが、やはり原作ファンの多くも、人間の古い王国が、指名達成と絡んで、滅亡寸前からの大逆転を果たし、やがては今ある世界に繋がる世界を築き始めようとする姿に感動するのではないだろうか?)
―――しかし、この、原作者の、ゴンドールへ注いだ温かい眼差しを、脚本家はほとんど映画に反映させることはなかった。
映画でのゴンドールは、ただ単にガンダルフら「正義の味方」が乗り込んで「世直し」をする対象にしか見えない。執政はただの強欲、長男は欲望に弱く、次男は未熟者。こりゃひどい。
百歩譲って、原作で描かれたゴンドールの歴史の深さや「王なき執政」の苦悩を、映画でも描こうとしていたとしても(確かに、画面から伝わらないこともないが、これは単純に美術スタッフの功名であると思う)、原作を知らない人には伝わっていないだろう。他のキャラクターや場面は、比較的、原作を知らない人にもわかりやすいように、面白いように脚色されているにも拘らず。やはり、ゴンドールは、多くの原作ファンが理解しているように、ひたすら割を食ったのである。(ガンダルフが「乗り込んで世直しをした」かに見えるローハンと比べてさえ、何という作り手の愛情のなさよ…)
こうして、ゴンドール復活による人間世界の復興という視点から観てみると、第三部は―私も勿論、実は一番好きなのだが―、トールキンの愛情の対象がずっぽり抜けた映画だ、とも言えるのだ。が故に、大いなる片手落ち、と、映画版第三部を思うのである。
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王の帰還SEEは非常に不満が残る出来でした。
三部作のラスト。これぞ映画!







