| 江田島殺人事件 (ノン・ポシェット) | |
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この作品は、大学4年ぐらいの時にまとめてこのシリーズを読んだ時にも読んだ。内容を少しでも憶えている作品は少ないのだが、この『江田島』は、ストーリーそのものは忘れてしまっていても、最初に描かれた死者が何故ああいう自殺の仕方をしたのかだけは、よく憶えている作品だ。
昔読んでいた頃は、私の中にそういうアンテナが全くなかったために気づかなかったのだと思うのだが、内田康夫さんという作家は(も、と言うべきか)、結構それ系の話―つまり日本の近現代史に”熱い”作家なのだなと、今は思う。『はちまん』(これは今回が初読のはず)といい、『崇徳伝説殺人事件』といい…そういえば、最新作も『靖国への帰還』だ。
この、内田氏の、戦争について、日本の戦後教育についての考え方は、私は勿論彼の半分以下の年齢とはいえ、賛成する。
読んだ方はおわかりになっていると思うが、この『江田島』は、浅見光彦シリーズ―社会派作品の読後感の重さは意外なほどある―の中でも特に、重い作品だ。
今回は、この作品の特徴としてよく言われる通り、銃後の少年だった内田氏が、浅見の口を借りてあの戦争と今の戦争観を語り、浅見兄弟もまた、中盤から終盤にかけて、かなり、特に兄が、非常に腹を割って語る。つまり、珍しく、吐き出せるだけ吐き出してしまった―――という作品なのである。
この作品には、わかりやすく考えると、
・国家と戦争の物語
・兄と弟の物語
・悪と天網の物語
という3つの柱があると思う。このうち3つ目については、内田氏が繰り返し描いている、「本当の悪はいつも罰せられることなく逃げてしまうという」日本の政治と警察の矛盾である。これについてはもう詳しくは述べない。
さて、最初の問題だが、物語の冒頭で、浅見は兄からの依頼で事件の捜査を引き受け、広島県の江田島にある、「教育参考館」=旧海軍兵学校の見学に行く。この部分で考えたことだ。
この時浅見が感じたことは、概ね、私が横須賀の「記念艦三笠」を見学した時と同じである。
時代が止まっている、というか、まだあそこには、郷愁、としてしまうには余りにも強すぎるぐらい、「あの時代」が残っている。端的に言えば、切符をもぎってるおじいちゃんの目が違う。これは後で詳しい人に訊いたら、やはり元軍人なのだそうだ。表面的にも「自衛隊展示コーナー」があったりするのは見ればわかる「今に生きる海軍」だが、全体に、あの時代を全く否定していないのである。否定しろと言うのではないが。断ち切られていないのだ。いやむしろ、歴史は断ち切れるものではないのだということを、私はあの場所で初めて実感した(そういう意味では、一度見学してこの世の現実に触れるのも悪くない)。その他、組織的なことでいえば、あれは管轄がB省で、職員は入館料が割引になったりするのだが、それはいいとして。
「教育参考館」で浅見が見学して強い衝撃を受けた「佐久間艇長の遺書」。これは私も知っている。訓練中に潜水艦に閉じ込められて死んだ艇長が、死の瞬間に至るまで書き残したものである。艦と沢山の乗組員を死なせてしまうことへの謝罪、同じ事故を繰り返さないためにと必死に書かれた、その時の状況、原因の分析…
浅見は、この遺書に「はげしい気概」を感じたとある。
私にも、あの時代の人々、特に軍人に(この、軍人についても今の時代、評価が分かれているというより既にわからなくなっている)ついて思う時、様々な理窟は取っ払うと仮定すれば、この「はげしい気概」は否定できない。どころか激しく惹かれるのは、そうか、周りの何もかもを一旦どけてみて残った「気概」というものだったのだ、と今回わかった。
いつの時代にせよ何のためにせよ、人のもつ「気概」に罪はない。また、その「気概」には、プライドや様々なものも包括されていると考えられる。端的に「気概」という言葉で表される、純粋な「人間の力」と言ってもいい。そしてそれは、どんな時代でも意味を失うはずがない。
戦争と国家の関係について考えることは、即ち国家と国民の関係について考えることである。今回、自分があの時代に大きな疑問を懐くと同時に惹かれる理由を知って、思ったことは、一人一人がもつこの気概を、何故あの時代、国家はいい方向に発揮させることができなかったのかということである。
言い換えれば、国民一人一人の持つ美点を、気概を、誇りを、内に外に、純粋に、正しい形で発揮させることこそ、国家の最大の責任なのではないだろうか。
それがまるでできていないどころか…あの時代よりももっとひどく、むしろ、恥ずかしい方向にしか発揮させてこなかったのが、戦後の日本ではなかったか。戦後に起きた経済的な数々の失策も、戦争と同じぐらいの人間性の崩壊をもたらしてきたのではないか。
桜の季節。
東京でこれまでいくつもの場所で花見をしてきたが、皮肉なことに―――というべきか、最も美しいのは、千鳥ヶ淵だった。
次に、兄弟の物語である。
私が今回この作品を読み返した理由は、昔読んだ時と違って今はインターネットというものがあり、このシリーズのファンの方も沢山のサイトを作っていらっしゃるのだが、そういうサイトの1つで、この作品では、兄・陽一郎が沢山登場するという情報を得たからだ。私はこのお兄ちゃんも大好きである。自分が長子であるせいか、長男長女キャラには肩入れしてしまうというのもあるし、この陽一郎の、ある一線は決して譲らないが、弟を最もよく理解し深く愛し、いざとなればぎりぎりの所で戦うことも厭わない人間性は素晴らしいと思う。
そもそもこの作品は、珍しく、光彦は兄の依頼で事件の捜査に当たる。そして中盤から終盤にかけ、事件の真相がほぼ見えてくると、兄と弟は、これまた珍しく、長々と話し合う。
この長い会話は、このシリーズを全て象徴していると言ってもいい名場面だ。
そしてこれも、シリーズ屈指の名台詞である!
「私が人に、おまえさんの最大の不幸せは何かと訊かれたら、頭のいい弟に恵まれたことだと答えるだろうね。」(152ページ)
世間的には天才でありエリートであり、それ故に、最も唾棄すべき相手を自ら守らねばならない兄。
世間的には賢兄愚弟を地でゆく居候、しかし、兄を凌ぐことは勿論、怖ろしいまでの頭脳に恵まれた弟。
兄の自嘲。誰よりも誇るべき弟が、常に兄の苦悩でもあるという矛盾。その才能で兄を救うことすら、兄にとっては皮肉な結果をもたらすことを知りつつも、兄の命で奔走する弟。志向する所は全く同じなのに、違う手段を選んだが故に、時には利害が衝突し、そして、やはりいつも、深く愛し合っている(変な意味ではない!)兄弟…
「命懸けで君を守る」(『氷雪の殺人』)とまで兄に言わせる弟の頭脳は、一体この兄弟の人生に何をもたらし、どう苦しめ、どう救っているのだろう。
こんな兄弟、誰にも書けない。
そして、恐らくは、こういう兄弟を、これほどに語り合わせてしまった故に、だろう。
ネタバレにならないことを祈るが、この作品は、推理小説という、探偵が登場し、理論で真実を突き止めるというジャンルの小説にしては、かなり野蛮な結末になっている。これが最終章でなく、「エピローグ」であるにしても、そのことは変わらない。最近はこういう結末の推理小説も珍しくはないが、内田作品としては、浅見光彦シリーズとしては、かなり印象的である。逆に言えば、この事件ではどれだけ、浅見兄弟が苦しんだかが際立つとも言えるのだが。
こういう結末にせざるを得ないほど、あらゆる意味で語り尽くしてしまった話なのだ。
表面だけ読めば、ああいつものようにプロットなしで書いてたらとうとう大詰めでガッタガタになっちゃったな、としか受け取れないかもしれない。
だが勿論、この結末だからこそ、兄弟で話したこと、特に兄の苦悩の意味がより鮮明になるともいえる。
兄弟の語り合いは本当に胸を打つものがあった。内田氏が言っていることについても大いに賛成する。しかし、結末については、あくまで推理小説の結末として、そうそう何度もやってもいいことではないという点と、どんなに事件が陰惨で根深いものであろうと、これをやってしまったら探偵が推理する意味がない、という点など、総合的に考え、賛否両論の内の「否」に7割方傾いている。決してやってはいけないことを―――実際にしたのが浅見兄弟のどちらではないにしても…
以上のように、重いも重い(大分個人的思い入れも入っているが)一作だ。
特に私が好きなのは、やはり、兄弟の、美しく哀しい場面だ。
こういう兄弟だからこそ―勿論探偵浅見光彦は魅力的だが―、このシリーズを私は好きだし、ファンが多いのだろうと思う。
それにしても、作中での事件の1つのモデルとなった、「○○しお衝突事故」(そのまんま、あの潜水艦は「××しお」として登場する)。同じような事故が最近も起きたが、それに対するB省の対応が、「○○しお」の頃と全く同じであることには呆れた。














